スキー les 2 Alpes(3) ― 2008年12月22日 21時51分05秒
(↑谷の反対側、la Muzelle 3465m)
去年つかんだはずの何かを取り戻すまでに若干の時間がかかったが、さすがに毎日滑り続けていればある程度滑れるようになるもので、
緑(入門)→青(初級)→赤(中級)→黒(上級)
とあるうちの、赤コースでもまあまあ滑れるようになってきた。
そもそも僕のスキーは、去年無理やり谷間を滑り降りる際に会得した、滑るためでなくて、止まるための技術(?)なので、スピードを出してはエッジで急ブレーキをかけることの繰り返し。
スキー学校で妻と短時間個人レッスンを受けたが、あまり上達せず。
スピードはないが、まったく転びそうにない妻の方が、安定していて技術的には上なのだろう。
山上はやはり寒かった。
天気も良く、下のステーションでは10度近くまで気温が上がる日もあったが、寒い日は、3200メートル地点ではマイナス14度。
時折ブリザードが吹きつけ、寒さと氷粒で顔が痛いのなんの。
背中のリュックの水は、いつの間にか凍っていた。
去年つかんだはずの何かを取り戻すまでに若干の時間がかかったが、さすがに毎日滑り続けていればある程度滑れるようになるもので、
緑(入門)→青(初級)→赤(中級)→黒(上級)
とあるうちの、赤コースでもまあまあ滑れるようになってきた。
そもそも僕のスキーは、去年無理やり谷間を滑り降りる際に会得した、滑るためでなくて、止まるための技術(?)なので、スピードを出してはエッジで急ブレーキをかけることの繰り返し。
スキー学校で妻と短時間個人レッスンを受けたが、あまり上達せず。
スピードはないが、まったく転びそうにない妻の方が、安定していて技術的には上なのだろう。
山上はやはり寒かった。
天気も良く、下のステーションでは10度近くまで気温が上がる日もあったが、寒い日は、3200メートル地点ではマイナス14度。
時折ブリザードが吹きつけ、寒さと氷粒で顔が痛いのなんの。
背中のリュックの水は、いつの間にか凍っていた。
スキー les 2 Alpes(4) ― 2008年12月23日 21時54分09秒
峠を下りた Mont de Lans の村でも、簡単ながら朝市が開かれる。
アヌシーも含まれるこのサヴォワ地方は、チーズが特産。
Tomme de Savoie トム・ド・サヴォワ, Beaufort ボーフォールなどが知られるが、町のお店で勧められたのが Vieux Comte de la montagne。
夏の生乳(←夏の乳の方が、栄養分が多くて断然おいしいとのこと。)からつくった熟成18か月のもの。味わい深くてあまりにおいしいので、パリにも買って帰った。
峠の反対側のVenosc村までゴンドラで降り、山の美食ツアーに参加。
寒い気候に適応するため、貧しいながらもカロリーの高い食事が多い。
グラタン、サラミ、チーズフォンデュ、蜂蜜などなど。
町のレストランも、ラクレットやフォンデュのお店も多い。
アヌシーも含まれるこのサヴォワ地方は、チーズが特産。
Tomme de Savoie トム・ド・サヴォワ, Beaufort ボーフォールなどが知られるが、町のお店で勧められたのが Vieux Comte de la montagne。
夏の生乳(←夏の乳の方が、栄養分が多くて断然おいしいとのこと。)からつくった熟成18か月のもの。味わい深くてあまりにおいしいので、パリにも買って帰った。
峠の反対側のVenosc村までゴンドラで降り、山の美食ツアーに参加。
寒い気候に適応するため、貧しいながらもカロリーの高い食事が多い。
グラタン、サラミ、チーズフォンデュ、蜂蜜などなど。
町のレストランも、ラクレットやフォンデュのお店も多い。
スキー les 2 Alpes(5) ― 2008年12月24日 21時53分25秒
スキー les 2 Alpes(6) ― 2008年12月25日 21時52分19秒
(↑Pic de Venosc 通称さんかく山。)
1週間もスキーなんて長すぎるかと思ったが、過ぎてみればあっという間で、思う存分滑ってこられた。
が、行き帰りは大変だった。
パリからスキー場まで夜行バスで直通往復、というのが利点だったこのプラン。
てっきりパリ始発だと思っていたのに、深夜のバスターミナルに到着したバスはブリュッセル発便で、既にほぼ満席。たまたま妻と並んで席が取れたのは、偶然と好意のおかげ。
しかも、集まっていたスキー客は目的地が違うらしく、我々はグルノーブルで降りろ、別のバスが待っているとのこと。
こうして、真っ暗な朝の7時に我々5人をおろし、バスは行ってしまった。
「ここで聞け」と指示されたところは、関係ない地域バス会社。
おかしい、と思いつつどうしようもないので困っていたところ、たまたま人が教えてくれてバスを発見、無事に到着。
もっとひどいのは帰り。
集合場所は後日電話連絡、とあったのに、連絡なし。
こっちから電話したところ、
「そんな名前の人はリストにない。自力で帰ってくれ。」
などと、またいい加減なことを言う。
さすがに怒ってまくしたてたら、別の担当から電話があって、時間場所を確認できた。
今回も乗換えらしく、その場所が聞いたこともない町。
どこへ行くのかわからないまま、バスはグルノーブルをこえ、アルベールビルの手前でイタリア方向に転じたのち、真っ暗な寂しい田舎町で停車。
こんなところにバスが来るのか、と不安この上ないが、どうにか、ちゃんと来た。
朝方4時にパリに、無事到着。
パリは寒気のただ中で、山と寒さが変わらなかった。
1週間もスキーなんて長すぎるかと思ったが、過ぎてみればあっという間で、思う存分滑ってこられた。
が、行き帰りは大変だった。
パリからスキー場まで夜行バスで直通往復、というのが利点だったこのプラン。
てっきりパリ始発だと思っていたのに、深夜のバスターミナルに到着したバスはブリュッセル発便で、既にほぼ満席。たまたま妻と並んで席が取れたのは、偶然と好意のおかげ。
しかも、集まっていたスキー客は目的地が違うらしく、我々はグルノーブルで降りろ、別のバスが待っているとのこと。
こうして、真っ暗な朝の7時に我々5人をおろし、バスは行ってしまった。
「ここで聞け」と指示されたところは、関係ない地域バス会社。
おかしい、と思いつつどうしようもないので困っていたところ、たまたま人が教えてくれてバスを発見、無事に到着。
もっとひどいのは帰り。
集合場所は後日電話連絡、とあったのに、連絡なし。
こっちから電話したところ、
「そんな名前の人はリストにない。自力で帰ってくれ。」
などと、またいい加減なことを言う。
さすがに怒ってまくしたてたら、別の担当から電話があって、時間場所を確認できた。
今回も乗換えらしく、その場所が聞いたこともない町。
どこへ行くのかわからないまま、バスはグルノーブルをこえ、アルベールビルの手前でイタリア方向に転じたのち、真っ暗な寂しい田舎町で停車。
こんなところにバスが来るのか、と不安この上ないが、どうにか、ちゃんと来た。
朝方4時にパリに、無事到着。
パリは寒気のただ中で、山と寒さが変わらなかった。
最近のコメント