ニューヨークに行ってきた!2009年04月01日 15時55分52秒

ニューヨークに行ってきた!
というのは4月1日ならではの嘘(そもそも、僕のパスポートでは渡航できない。)ですが、写真は、れっきとした「自由の女神像」。

「自由の女神」といえば、ニューヨークの代名詞的存在(特に、アメリカ横断ウルトラクイズに熱中していた世代にとっては。)だけれども、これは、アメリカ独立100周年を記念して、独立戦争の同盟国であったフランスから贈られたものであることは知られた話。

自由と独立に憧れた青年彫刻家バルトルディが米国に旅行した際、ニューヨークの中州島を見て、「自分が作った像を建てるのに理想的な場所だ」と思ったのだとか。それが後日、実現してしまう。

彼は、アルザス地方のコルマール出身のフランス人。
米国旅行は、フランスが普仏戦争に敗れ、アルザス地方がドイツに割譲されていた頃なのだが、そういう時代背景を踏まえると、「自由の女神像」に込められた意味が、格段の深みを帯びたものとして見えてくる。

で、今日、パリのセーヌ川中州に建てられた「自由の女神像」は、今度は米国に住むパリ出身のフランス人が、フランス革命100周年を記念して贈ったものだとか。
我が家から歩いて10分程のセーヌ川の中州、散歩があまりに心地よい「白鳥の小道」の先端に、下流を眺めて立っている。

このセーヌ川の自由の女神が左手に持つ本?には、ふたつの日付が併記してあった。
IV juillet 1776
XIV juillet 1789
アメリカ独立記念日(独立宣言採択)と、フランス革命記念日(バスティーユ襲撃)である。

ちなみに、我が家の面した通り rue Auguste Bartholdi は、彼の名を冠したもの。
住んでいたとかいう経緯はないようですが。

残り3か月。あ、切ってる。2009年04月11日 01時38分15秒

3月末に芽吹き始めた街路樹や公園の木々が、4月に入って一斉に葉を広げた。(写真は家の隣のデュプレクス公園)
夏時間になって夜はいつまでも明るいし、20度近くまで気温が上がる日もあり、春というより初夏を思わせる、今日この頃。


フランス生活も残り3か月弱となった(今回は。と強がってみる。)が、生活面でもこの10日でいろいろとモノゴトが進んだ。

フランス農漁業省でのスタージュ受入れが決定

帰国の日程決定(7月7日発)

航空券を購入

帰国後の住居の手配を依頼

住んでいるアパルトマンの次の入居者が決定

入れ替わりの時期にフランスに来る人たちから、続々と連絡が来たりする。

帰国に向かって、どんどん外堀が埋まっていく。

ああ、もうすぐ帰らなければならないんだなぁという、受け入れ難いが抗えない、何か大きなものに圧迫されているような、そんな気持ちになる、今日この頃。

モンサンミッシェル(3)干潟2009年04月13日 00時02分38秒

潮の干満の差は、10メートルあるとか。
島の頂上のテラスから見る干潟の光景は圧巻。

訪れた時間はちょうど潮が引いて行くころで、陸と島を結ぶ観光道路の脇にある駐車場は、まだ泥に浸かっている。

この泥、ツアーガイド氏によれば、絶対に踏むな、とのこと。
あまりに臭くて靴をダメにするし、バス内が大変なことになる、と。

とはいえ、干潮の時間には干潟探検ツアーがあるようで、砂の上をはるか遠くまで歩いていく人たちも居たりする。

潮干狩りなんかもできるんだろうか???


ところで、陸から島へ観光道路をつくってしまったために潮の流れが変わり、モンサンミッシェルが今や陸続きになりかかっているという話。

これを回避するため、陸と島を結ぶ道路を取り除いて橋を架けるとともに、陸側にダムをつくって人工的に水流をつくる工事が、今始まっている。
何年かしたら、陸から見る眺めは、今とはちょっと違ったものになっていることだろう。

モンサンミッシェル(2)オムレツ。2009年04月13日 00時03分49秒

3月29日(その2)

これが、この島の名物、オムレツ。
おいしそうでしょ?

どのくらいおいしいかというと、ひとくち食べた母が、

「これはしっかりお塩を振った方がいいね」

と、息子から見ても結構な量をかけていた、くらい。


そう、これ、前評判にたがわず、おいしくない。

オムレツ、という名前だけども、卵(一人分でせいぜい2個か。)に小麦粉か何かを混ぜ、しっかりかき混ぜて泡あわにした上で、フライパンで表面を焦がした、という料理。
ほとんど味がしない。

大昔、プラールおばさんが、島を訪れる巡礼者のために考案した料理とのこと。
健康のため卵は使うけど、少ししかないから、ボリュームだけは大きく見せようとがんばった、と、そういうことなんだろう。

モンサンミッシェル(1)2009年04月13日 00時12分58秒

3月29日(日)その1


「子供の時に写真を見て以来、40年来越しの憧れ」

とは、来仏した母の言。
今やフランス国内で、パリのノートルダムに次いで観光客が訪れるというモン・サン・ミッシェルに、母と妻の三人で行ってきた。

パリを朝7時に出発のバスツアー。
途中、セーヌ川下流の田舎町に立ち寄って西へ、モンサンミッシェルに着いたのは午後1時。

写真や映像で繰り返し見たことのある風景であはあるが、だだっ広い草原、潮の引いた干潟の先にすっくと立つその姿は、感動ものである。

春のグルネル市場(1)イチゴ2009年04月14日 18時07分40秒

4月に入って、グルネルの市場が生き生きとしてきたように感じる。

暖かくなって、寒いころの張りつめた感じがないということもあるけれど、野菜や果物が春らしくみずみずしくなってきた。

この頃目立つのは、イチゴ。
いくつか種類があるが、今主流のスペイン産は、日本のものとも品種が近い。

同じ大きさ、形のイチゴが、向きをそろえ傷つかないように丁寧に包装されている日本のそれに慣れていると、その山積み量り売りは衝撃である(キロ3ユーロくらい)。

お店の人の扱いも手荒く(投げたりする。)、当然、圧された部分からすぐ傷んでいく。
他の野菜や果物にたがわず、日本のものに比べてちょっと大味かな。
ナイフで切らないと食べにくい粒だって多い。

当否はともかく、日本のものは手がかかっているなあと、改めて思う。

ちなみに、春先は、スペイン産のほかモロッコ産などがみられ、6月頃になると、大半がベルギー産などに移る。南から北へ。
あまり国内産は見ない。

春のグルネル市場(2)テナガエビ2009年04月14日 19時12分22秒

魚屋にて。特に春の特産というわけではないけれども。

Langustine ラングスティン、テナガエビ

並べ方もお茶目。
茹でて、マヨネーズをちょっと付けたりとか、マリネにしたりとか。

春のグルネル市場(3)サン・ピエール2009年04月14日 22時13分13秒

これも春の魚ってわけではないのだけど、ついでに。

Saint-Pierre サン(聖)・ピエール

この聖人、ピエール。漁をしていたところを、通りかかったキリストに声をかけられて筆頭弟子になったそうで。
他の言語では、聖ペテロ、聖ピエトロなど。
(ローマのサン・ピエトロ寺院は、その地で殉教した彼の墓所の上にあるらしい。)

この、カワハギを大きくしたような魚の特徴は、背にある大きな黒丸で、
聖ピエールが、
・ この魚がうまいんだ、と指で押した痕だとか、
・ キリストの言に従いこの魚の背を押したら、口から金塊を吐いたとか、
・ そこを押したら、魚がしゃべったとか、
文脈はいろいろあれ、聖ピエールが指で押した痕であるということが、名前の由来の定説。

確かにおいしい魚で、いいレストランでも出てくる。
皮をこんがりソテーにしたり、ムニエルなんかもあるようです。

日本種では、的に見立ててマトウダイというようです。なるほど。

港の封鎖2009年04月19日 23時50分14秒

今週、カレーやダンケルクなど、フランス北部の港が漁業者によって封鎖され、英仏海峡間などの海上交通が麻痺したところ。

漁業者やその組合の政府に対する主張は、cabillaud タラと sole シタビラメ について、自分たちへの漁獲割当て量を増やすこと。

どういう制度かというと、
まず、獲りすぎで減っている魚について、EUが科学的知見に基づいて、各国の年間漁獲量の上限(TAC)を割り当てる。
フランスでは、国内の漁業者に逐次漁獲量を報告させ、その合計が割り当てられた量に到達すると、停止命令を出す仕組み(オリンピック方式という。→要は早く獲った者勝ち)。

2009年の割当量がEUで決定されたのは12月なのに、なぜ今更?というのが普通の感覚だと思うのだが、そこはフランス人。
「年初から今までで、もう漁獲枠いっぱい獲りつくしてしまった、もう獲れないと収入がなくなる、だから枠を増やせ」と。

なんだか聞き分けの悪い言い訳にしか聞こえない。
無理解ならばそれはそれで問題だが、ここまで朗らかに主張されると、本当は制度を全部わかった上での確信犯なんじゃないか、と思う。

しかも今回驚いたことには、
火曜から封鎖が始まり、水曜夕にバルニエ農漁業大臣と折衝、木曜朝には4百万ユーロの休業補償金が支払われることが公表された。

さすがに、それだけの金額が1日や2日で工面できるわけもなかろうから、最初から出来レースだったのでは?と思ってしまう。
とすれば、漁港封鎖という示威行動も、単なる儀式でしかないということか。
(今度聞いてみよう。教えてくれないかな。)

補償金支払いが決定したあとで、ある漁業者は、「我々が欲しているのは金じゃない、もっと獲りたいんだ」と言っている。

窮状はわかる。
でも、なんだか同情を持てない。

リュクサンブール公園2009年04月20日 00時36分32秒

大学のあるカルチェ・ラタンに隣接して、リュクサンブール公園がある。

パリの中でも、お気に入りの場所。

立木の間を木枯らしが吹く冬も趣があるが、やはり春先のこの季節が一番心地よい。
手入れの行き届いた花壇が美しく、ベンチで日光浴に、散歩にと、公園は訪れる市民でいつも賑わっている。

ルイ13世の母、マリー・ド・メディシスが建てたこの宮殿には、いま上院が入る。