1年経過 ― 2008年07月13日 17時52分00秒
渡仏したのが1年前の7月13日。
あっという間のようでもあり、いろいろなことがありすぎて、ずっと昔のようにも感じる。
1年目について総括すれば、パリと地方都市を駆け回って、今までになかった経験をし、フランスで外国人としてそれなりに生きていくことについては、若干自信がついた。
だけども、留学としての本旨である、学問とフランス語については、「自信」以前の段階。知識、語学(仏英)力とも、フランス人更には外国人と、十全に渡り合えるだけのものは、ない。
残り1年弱。
2年目は、パリに残って、パンテオン・ソルボンヌ大学(いわゆるパリ第1大学)で、フランス農業法、EU共通農業政策等を勉強することになった。
2年目は1年目に比べて時間の過ぎるのが圧倒的に早い、と、過去に留学した皆が口をそろえて言う。
大学での勉強、フランス語を究めることはもちろんのこと、フランス人、フランス社会についても、じっくり見つめていきたい。
妻との落ち着いたパリ生活も満喫したいところ。
あっという間のようでもあり、いろいろなことがありすぎて、ずっと昔のようにも感じる。
1年目について総括すれば、パリと地方都市を駆け回って、今までになかった経験をし、フランスで外国人としてそれなりに生きていくことについては、若干自信がついた。
だけども、留学としての本旨である、学問とフランス語については、「自信」以前の段階。知識、語学(仏英)力とも、フランス人更には外国人と、十全に渡り合えるだけのものは、ない。
残り1年弱。
2年目は、パリに残って、パンテオン・ソルボンヌ大学(いわゆるパリ第1大学)で、フランス農業法、EU共通農業政策等を勉強することになった。
2年目は1年目に比べて時間の過ぎるのが圧倒的に早い、と、過去に留学した皆が口をそろえて言う。
大学での勉強、フランス語を究めることはもちろんのこと、フランス人、フランス社会についても、じっくり見つめていきたい。
妻との落ち着いたパリ生活も満喫したいところ。
ルーアン1 Armada2008 ― 2008年07月13日 23時53分22秒
セーヌ川沿いの町Rouenルーアンは、パリから北北西へ、サン・ラザール駅発の急行で1時間ほどの場所にある。
ここでは、過去の海戦の名をとったArmadaアルマダというイベントが毎年あって、セーヌ川岸に世界の軍艦や古い帆船など50隻あまりがずらりと並び、一般公開される。会社の人に教えてもらったので、早速行ってみた。
日本からも、3隻の自衛艦が参加。公開されている練習艦かしまにのってみる。
乗艦しているのは当然自衛官の方々。相当若い人もいるが、ちゃんとフランス語で挨拶し、案内し、高射砲の使い方も説明したりしていた。感心。
その中の一人と話してみたら、この艦は昨年も参加していて、自衛艦が航行することによって、民間航路が開けるという目的もあるとのこと。日本から来るのに5か月かかったそうで、妻が待っているから早く帰りたい、と。
収録放送されていた映像では、インタビューを受けた若い女性自衛官が、「パリでお買い物したい」と言っていた。ちょっと同情も。
この日本艦を先頭に、ロシア、ドイツなどの軍艦が数隻続き、その後ろには、昔の大西洋タラ漁船とか、さまざまな国から参加した帆船がずらっと並ぶ。岸から見て乗るだけでなく、ボートに乗って川中から眺めることもできる。
翌日の革命記念日には、この艦隊群が、セーヌ川を一列に大西洋まで下って行くとのこと。さぞかし壮観なことだろう。
ここでは、過去の海戦の名をとったArmadaアルマダというイベントが毎年あって、セーヌ川岸に世界の軍艦や古い帆船など50隻あまりがずらりと並び、一般公開される。会社の人に教えてもらったので、早速行ってみた。
日本からも、3隻の自衛艦が参加。公開されている練習艦かしまにのってみる。
乗艦しているのは当然自衛官の方々。相当若い人もいるが、ちゃんとフランス語で挨拶し、案内し、高射砲の使い方も説明したりしていた。感心。
その中の一人と話してみたら、この艦は昨年も参加していて、自衛艦が航行することによって、民間航路が開けるという目的もあるとのこと。日本から来るのに5か月かかったそうで、妻が待っているから早く帰りたい、と。
収録放送されていた映像では、インタビューを受けた若い女性自衛官が、「パリでお買い物したい」と言っていた。ちょっと同情も。
この日本艦を先頭に、ロシア、ドイツなどの軍艦が数隻続き、その後ろには、昔の大西洋タラ漁船とか、さまざまな国から参加した帆船がずらっと並ぶ。岸から見て乗るだけでなく、ボートに乗って川中から眺めることもできる。
翌日の革命記念日には、この艦隊群が、セーヌ川を一列に大西洋まで下って行くとのこと。さぞかし壮観なことだろう。
ルーアン2 ― 2008年07月13日 23時59分49秒
セーヌ川の水上交通で栄えたルーアンは、ジャンヌ・ダルクが火刑に処せられた地である。
彼女に関わる旧蹟はことごとく指摘、史跡化されていて、その扱い、人気はフランスの中でも第一級。
彼女が解放したとされるオルレアンでは、町の中心に勇ましい銅像が建つが、ルーアンにおいては、華々しい国家的英雄のような扱いは見られない。
彼女を燃してしまった人々の悔悟なのか、今日、終焉の地とされる広場にはジャンヌ・ダルク教会が建ち、火刑台跡と思しき場所には、花畑と、彼女のための大きな十字架がある。
別の一角には、時計台の奥に、そびえ立つ大聖堂。これは、モネが多くの連作を残したことで有名。
戦時中に相当の被害を受けつつ、修復を重ねてきたものとのこと(世界遺産)。
今日は、出港前日ということもあってか、市内に各国の軍艦の搭乗員たちが、休暇を取って繰り出していた。みな制服を着用して規律正しく行動しているが、我が国の若い自衛官の方々とも、繁華街などではなくて、聖堂や歴史展示館でたびたび遭遇。
「百年戦争ってのは、英仏の戦いじゃなくて、フランス国内の身内同士の争いなんだよ」など話しているのを聞くにつけ、フランス語のこともあり、大変失礼ながら、自衛官の方々の教養の高さに認識を新たにした。
彼女に関わる旧蹟はことごとく指摘、史跡化されていて、その扱い、人気はフランスの中でも第一級。
彼女が解放したとされるオルレアンでは、町の中心に勇ましい銅像が建つが、ルーアンにおいては、華々しい国家的英雄のような扱いは見られない。
彼女を燃してしまった人々の悔悟なのか、今日、終焉の地とされる広場にはジャンヌ・ダルク教会が建ち、火刑台跡と思しき場所には、花畑と、彼女のための大きな十字架がある。
別の一角には、時計台の奥に、そびえ立つ大聖堂。これは、モネが多くの連作を残したことで有名。
戦時中に相当の被害を受けつつ、修復を重ねてきたものとのこと(世界遺産)。
今日は、出港前日ということもあってか、市内に各国の軍艦の搭乗員たちが、休暇を取って繰り出していた。みな制服を着用して規律正しく行動しているが、我が国の若い自衛官の方々とも、繁華街などではなくて、聖堂や歴史展示館でたびたび遭遇。
「百年戦争ってのは、英仏の戦いじゃなくて、フランス国内の身内同士の争いなんだよ」など話しているのを聞くにつけ、フランス語のこともあり、大変失礼ながら、自衛官の方々の教養の高さに認識を新たにした。
二度目の革命記念日 ― 2008年07月14日 00時32分37秒
かくして7月14日、僕にとっては二回目の、妻にとっては初めての、革命記念日を迎えた。
朝から妻とシャンゼリゼに向うも、目的地の地下鉄駅は閉鎖(去年は動いていた)、道路もかなり手前から大幅に規制されていて、結局ルーブル近辺からニキロ以上も歩く羽目に。
10時過ぎになってようようたどり着くも、シャンゼリゼは既に相当の人だかり。
でも今年は、昨年の教訓から、家から小椅子を持参していたので、一段高くよく見える。周りの羨望のまなざしが、ちょっと心地よい。
内容は大筋変わらず、冒頭のサルコジ、隊列の行進、空軍の滑空、戦車など車両部隊と進む。
今年は、フランス軍に交じって国連軍の白い車輛が目立つ。
昨日軍艦に乗ったばかりの妻がまた大喜び。
気がついたのは、ほとんどの部隊に女性隊員が加わっていること。
行進部隊は背の順で並んでいるので、たいてい一番後ろに、男性と違う帽子・制服で、銃やサーベルを持って行進。車輛部隊でジープを運転する人もいた。
観客の拍手がひときわ大きいのは、軍隊の後に続く、消防士の隊列と、消防車のパレード。
フランスの消防は軍隊の管理下にあり、消防士は市民の生命と生活を守る憧れの職業なのだとか。
この日の夜は、各消防署で消防士主催のパーティーが催される。
日本であれば銀座を自衛隊が行進するようなもので、決して見ることがないが、国家の軍事力がまっとうに存在し、自国のそれを国民が誇りとして歓声をあげる様は、フランスという国家としての自信を見たような、何か胸のすくようなすがすがしさを感じた。
夜は、アンヴァリッド前の広い芝生で、ビールとつまみを持参して花火を見る。
街路樹にさえぎられて絶好の場所とは言えなかったが、橋の上から一人で見た去年とは違う楽しさ。
朝から妻とシャンゼリゼに向うも、目的地の地下鉄駅は閉鎖(去年は動いていた)、道路もかなり手前から大幅に規制されていて、結局ルーブル近辺からニキロ以上も歩く羽目に。
10時過ぎになってようようたどり着くも、シャンゼリゼは既に相当の人だかり。
でも今年は、昨年の教訓から、家から小椅子を持参していたので、一段高くよく見える。周りの羨望のまなざしが、ちょっと心地よい。
内容は大筋変わらず、冒頭のサルコジ、隊列の行進、空軍の滑空、戦車など車両部隊と進む。
今年は、フランス軍に交じって国連軍の白い車輛が目立つ。
昨日軍艦に乗ったばかりの妻がまた大喜び。
気がついたのは、ほとんどの部隊に女性隊員が加わっていること。
行進部隊は背の順で並んでいるので、たいてい一番後ろに、男性と違う帽子・制服で、銃やサーベルを持って行進。車輛部隊でジープを運転する人もいた。
観客の拍手がひときわ大きいのは、軍隊の後に続く、消防士の隊列と、消防車のパレード。
フランスの消防は軍隊の管理下にあり、消防士は市民の生命と生活を守る憧れの職業なのだとか。
この日の夜は、各消防署で消防士主催のパーティーが催される。
日本であれば銀座を自衛隊が行進するようなもので、決して見ることがないが、国家の軍事力がまっとうに存在し、自国のそれを国民が誇りとして歓声をあげる様は、フランスという国家としての自信を見たような、何か胸のすくようなすがすがしさを感じた。
夜は、アンヴァリッド前の広い芝生で、ビールとつまみを持参して花火を見る。
街路樹にさえぎられて絶好の場所とは言えなかったが、橋の上から一人で見た去年とは違う楽しさ。
フランスのインターネット事情 ― 2008年07月21日 22時36分30秒
(モンマルトルの丘の上から見るパリ)
最近、我が家からインターネットに接続できない。
そもそもどのように接続しているかというと、自分でフランステレコムなどと契約しているわけではなくて、階上にある大家さん占有室から自室に伸びているケーブルが、無線LANの親機につながっていて、これを通して僕はウェブにつながっている。いた。
この親機が機能停止。
初めはどこぞの隣家から飛んでいる無線LANに勝手に接続できていた(パリ留学中のK氏は、入居してからずっとそうしていた(今も?)。)のだけど、これもアクセスできなくなった。
大家さんに来てもらったが直らず。
「これからLa Rochelleにヴァカンスに行くから、修理は2週間後になるけど、いい?」
と。その頃にはもうじき引っ越すのだけど、致し方なし。
出国時に日本でどのくらい存在したか記憶にないのだけれど、フランスの生活レベルでは、無線LAN(Wireless Fidelity = Wi-Fi = ウィフィと発音)が普及している。
去年できたESSECの新校舎はどの教室もWifiのアクセスポイントがあるし、ホテルでも、新しいカフェなどにも、これを備えるところが多い。Wifiのある公園だってある(もちろん無料)。
自室には電話回線が引かれていないためだが、そもそも電話などない時代からある、半永久的に使用されそうな古い石造りの建物が多いから、頑張ってそれぞれの部屋に回線を通すより、Wifiのほうが簡便だし合理的。
僕は、会社で、ネットサーフィンの合間に仕事仕事の合間にネットサーフィンしている(日本語は読めるが、打てない。だから、高校野球の予選とか、羽生のタイトル戦の状況はかなり熟知。)けれど、そうでなければ、近くのスターバックス(パリにも若干ある)で、30分2ユーロで接続。
ということで、月末の転居まで、十全な接続環境にはないので、あしからず。
(この原稿は、自宅で書いて会社で貼り付け。)
最近、我が家からインターネットに接続できない。
そもそもどのように接続しているかというと、自分でフランステレコムなどと契約しているわけではなくて、階上にある大家さん占有室から自室に伸びているケーブルが、無線LANの親機につながっていて、これを通して僕はウェブにつながっている。いた。
この親機が機能停止。
初めはどこぞの隣家から飛んでいる無線LANに勝手に接続できていた(パリ留学中のK氏は、入居してからずっとそうしていた(今も?)。)のだけど、これもアクセスできなくなった。
大家さんに来てもらったが直らず。
「これからLa Rochelleにヴァカンスに行くから、修理は2週間後になるけど、いい?」
と。その頃にはもうじき引っ越すのだけど、致し方なし。
出国時に日本でどのくらい存在したか記憶にないのだけれど、フランスの生活レベルでは、無線LAN(Wireless Fidelity = Wi-Fi = ウィフィと発音)が普及している。
去年できたESSECの新校舎はどの教室もWifiのアクセスポイントがあるし、ホテルでも、新しいカフェなどにも、これを備えるところが多い。Wifiのある公園だってある(もちろん無料)。
自室には電話回線が引かれていないためだが、そもそも電話などない時代からある、半永久的に使用されそうな古い石造りの建物が多いから、頑張ってそれぞれの部屋に回線を通すより、Wifiのほうが簡便だし合理的。
僕は、会社で、
ということで、月末の転居まで、十全な接続環境にはないので、あしからず。
(この原稿は、自宅で書いて会社で貼り付け。)
労働者生活@ソデクソ(1)組織 ― 2008年07月28日 15時14分50秒
(写真はモントルグィユ通りの魚屋 )
僕が働いているのは、Sodexo France 、すなわちSodexoグループのフランス担当地域会社の、購買管理部。
組織は主にこんな感じ。
部長:ドミニクさん
→課長:パスカルさん(食品担当)のほか、非食品担当、経営財務担当、ロジスティック担当、地域ブロック担当など計5人
→責任者:オレリー(品質担当)のほか、ヴェロニクさん(野菜・水産物担当)、飲料担当、肉類担当、サプライヤー管理担当など
他に、庶務をこなすアシスタントの方が10人弱(←これは多すぎると思う。)。
ドミニク→パスカル→オレリー→僕 というラインで、直接にはオレリーの指示をうけて仕事をし、ヴェロニクさんや他の同僚に相談しながら、たまにパスカルさんに報告する感じ。
単純比較できないのは承知の上で、日本で働いていた時と比べて思うことは、まず、職員一人当たりの仕事は広い(量でなく、範囲)が、それぞれの個人としての責任分野が明確に区分されている、ということ。
僕も含めてほとんどが一人一部屋で仕事をしていて、職員相互間で日常的に盛んにやり取りすることはあまりない。
典型例が、ヴェロニクさん。水産物関係の仕事をする上で助言が欠かせないのだが、彼女は、物理的にここにいない。北フランスのリールの事務所にいる。
水揚げの関係で漁港の近くに駐在する必要があるのか?と思った(ただし、リールは内陸である。フランスで水産業が最も盛んなのは、北西のブルターニュ地方)が、単にリールに住んでいるから、というだけの理由。電話やメールで連絡を取り、必要な時にパリに来ればよく、それで十分仕事がこなせてしまう。
その半面、チーム一丸となって同じ一つの仕事をすることがなく、組織として機能させるときに発揮される力や勢いは、日本にいたときのそれの方が格段に上だろうとも思う。
もっとも、そうしなくとも(この会社では)世の中が十分回っているということであるのだが。
僕が働いているのは、Sodexo France 、すなわちSodexoグループのフランス担当地域会社の、購買管理部。
組織は主にこんな感じ。
部長:ドミニクさん
→課長:パスカルさん(食品担当)のほか、非食品担当、経営財務担当、ロジスティック担当、地域ブロック担当など計5人
→責任者:オレリー(品質担当)のほか、ヴェロニクさん(野菜・水産物担当)、飲料担当、肉類担当、サプライヤー管理担当など
他に、庶務をこなすアシスタントの方が10人弱(←これは多すぎると思う。)。
ドミニク→パスカル→オレリー→僕 というラインで、直接にはオレリーの指示をうけて仕事をし、ヴェロニクさんや他の同僚に相談しながら、たまにパスカルさんに報告する感じ。
単純比較できないのは承知の上で、日本で働いていた時と比べて思うことは、まず、職員一人当たりの仕事は広い(量でなく、範囲)が、それぞれの個人としての責任分野が明確に区分されている、ということ。
僕も含めてほとんどが一人一部屋で仕事をしていて、職員相互間で日常的に盛んにやり取りすることはあまりない。
典型例が、ヴェロニクさん。水産物関係の仕事をする上で助言が欠かせないのだが、彼女は、物理的にここにいない。北フランスのリールの事務所にいる。
水揚げの関係で漁港の近くに駐在する必要があるのか?と思った(ただし、リールは内陸である。フランスで水産業が最も盛んなのは、北西のブルターニュ地方)が、単にリールに住んでいるから、というだけの理由。電話やメールで連絡を取り、必要な時にパリに来ればよく、それで十分仕事がこなせてしまう。
その半面、チーム一丸となって同じ一つの仕事をすることがなく、組織として機能させるときに発揮される力や勢いは、日本にいたときのそれの方が格段に上だろうとも思う。
もっとも、そうしなくとも(この会社では)世の中が十分回っているということであるのだが。
パリの交通事情1 ― 2008年07月29日 22時32分46秒
(写真はモントルグィユ通りの肉屋。店頭で焼かれる鶏(右側)がうまい。)
2区の自宅から、職場のあるパリ南西郊外のSt-Quentin en Yvelinesサン・カンタン・アン・イヴリーンまでは、主に郊外高速線RERのC線を使っている。およそ1時間の通勤。
いつも、サン・ミッシェル―ノートルダム駅を8時8分発の電車を使っているのだが、時刻表通りこの時間に来ることは、原則としてない。始発駅から数駅しかないのに、必ず几帳面に5分遅れている。
なにせ、駅構内には、月間区間ごとの ponctualité、すなわち時刻表通りに発車した電車の割合が掲示されている。僕が使う区間は、91.2%。これでもC線で最高 (最低は84%)。
この掲示、各月の「頑張り度」を表しているのか、それとも乗客の期待値を予め下げるためのものなのか?
だから、僕もその遅れた時間にあわせて駅に着くように家を出ている。
が、ごくまれに、月に1、2回、なぜか時間通りに到着発車することがあるのだ !
そういう抜き打ちテストのようなことされると、かえって困るんだよね。15分待ちだし。
ストのたびに時刻表を作り直して乗客に配布するくらいなら、「明日は時刻表通り運行します」という予告もしてもらいたいもの。
2区の自宅から、職場のあるパリ南西郊外のSt-Quentin en Yvelinesサン・カンタン・アン・イヴリーンまでは、主に郊外高速線RERのC線を使っている。およそ1時間の通勤。
いつも、サン・ミッシェル―ノートルダム駅を8時8分発の電車を使っているのだが、時刻表通りこの時間に来ることは、原則としてない。始発駅から数駅しかないのに、必ず几帳面に5分遅れている。
なにせ、駅構内には、月間区間ごとの ponctualité、すなわち時刻表通りに発車した電車の割合が掲示されている。僕が使う区間は、91.2%。これでもC線で最高 (最低は84%)。
この掲示、各月の「頑張り度」を表しているのか、それとも乗客の期待値を予め下げるためのものなのか?
だから、僕もその遅れた時間にあわせて駅に着くように家を出ている。
が、ごくまれに、月に1、2回、なぜか時間通りに到着発車することがあるのだ !
そういう抜き打ちテストのようなことされると、かえって困るんだよね。15分待ちだし。
ストのたびに時刻表を作り直して乗客に配布するくらいなら、「明日は時刻表通り運行します」という予告もしてもらいたいもの。
モントルグィユ通り ― 2008年07月30日 00時50分03秒
3か月住んだ2区モントルグィユ通り。
かつて、南に隣接するレ・アールに常設市場があった頃、そこで仕入れてきた新鮮な食料品が売られた賑やかな街。
歩行者天国に整備されたのが約20年前で、大家に言わせれば、それ以前はもっと食料品に特化した独特の雰囲気だったとか。
モネの絵にも描かれている(「モントルグィユ街、1878年6月30日の祝祭」、オルセー美術館)し、ルイ・ヴィトンのバッグにも冠されたものがある。
二人で住むには手狭なので、名残惜しいが、引越すことになった。
最後の晩は、通りの中でもお気に入りの店で、夕食を揃えた。
鶏の丸焼き /Roger
いい肉屋はたくさんあるが、一番質がいいらしい。店頭の専用機でいつも焼かれている(ブレス鶏も別にある。)
うまく脂が落ちていて、しっとりとおいしい。小ぶりで6ユーロ。
チーズ /
数軒あるチーズの専門店のうち、顔なじみの店から。
アルザスのミュンスター(オレンジの方)と、パリ地方特産のブリー・ド・モー。
バゲット(袋の中) /Eric Kayser エリック・カイザー
パリに数店舗ある、おいしいと評判のパン屋(日本にも数店あり)から、いつものバゲット(フランスパン)。1.2ユーロ
先日の洞爺湖サミットの「パン責任者」として、エリック氏が随行したそうで。
お菓子 /Stohrer ストレール
ポーランドの皇女がルイ15世に嫁いだ際、随行して来た菓子職人が1730年に開いたパティシエ。パリ最古と言われる。ケーキだけでなく、総菜もおいしい。
お買い上げは、ミルフィーユと、名物ババ。スポンジにたっぷりのラム酒を漬したもの。
ワイン /Vaccus
パリに数店ある系列店。今日は最近お気に入りの一本を。ベルジュラックのChateau Monestier la Tour、メルロー主体。
9.5ユーロ。このくらい出せば、普段使いには結構いいワインが飲める。日本なら3千円は下らないと見た。
かつて、南に隣接するレ・アールに常設市場があった頃、そこで仕入れてきた新鮮な食料品が売られた賑やかな街。
歩行者天国に整備されたのが約20年前で、大家に言わせれば、それ以前はもっと食料品に特化した独特の雰囲気だったとか。
モネの絵にも描かれている(「モントルグィユ街、1878年6月30日の祝祭」、オルセー美術館)し、ルイ・ヴィトンのバッグにも冠されたものがある。
二人で住むには手狭なので、名残惜しいが、引越すことになった。
最後の晩は、通りの中でもお気に入りの店で、夕食を揃えた。
鶏の丸焼き /Roger
いい肉屋はたくさんあるが、一番質がいいらしい。店頭の専用機でいつも焼かれている(ブレス鶏も別にある。)
うまく脂が落ちていて、しっとりとおいしい。小ぶりで6ユーロ。
チーズ /
数軒あるチーズの専門店のうち、顔なじみの店から。
アルザスのミュンスター(オレンジの方)と、パリ地方特産のブリー・ド・モー。
バゲット(袋の中) /Eric Kayser エリック・カイザー
パリに数店舗ある、おいしいと評判のパン屋(日本にも数店あり)から、いつものバゲット(フランスパン)。1.2ユーロ
先日の洞爺湖サミットの「パン責任者」として、エリック氏が随行したそうで。
お菓子 /Stohrer ストレール
ポーランドの皇女がルイ15世に嫁いだ際、随行して来た菓子職人が1730年に開いたパティシエ。パリ最古と言われる。ケーキだけでなく、総菜もおいしい。
お買い上げは、ミルフィーユと、名物ババ。スポンジにたっぷりのラム酒を漬したもの。
ワイン /Vaccus
パリに数店ある系列店。今日は最近お気に入りの一本を。ベルジュラックのChateau Monestier la Tour、メルロー主体。
9.5ユーロ。このくらい出せば、普段使いには結構いいワインが飲める。日本なら3千円は下らないと見た。
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