更新情報(4月4日)2008年04月04日 00時05分32秒

4月4日更新分
12月27日:アルザス旅行(1)ストラスブール

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3月20日:就職活動記録1

秋学期の目標(抜粋)
・ 過去の日付でブログを書かない

注意!!!引っ越します2008年04月06日 07時32分05秒

4月末で引っ越すことになったので、当面は郵便物等を発送しないでください。

自動転送も、日本のように簡単ではありません。

ロワールぶらり旅(1)ブロワ/BLOIS城2008年04月06日 11時46分43秒

フランソワ1世棟。16世紀
企業研修が4月末から始まることになり、ぽっかりひと月休みができた。
「旅行は留学生の義務みたいなものだから、どんどん行くように。」という、パリ通算7年目のKさんの職務命令?を真に受けて、ロワール地方の一人旅をすることにした。

ロワール地方は、フランス最長のロワール川の下流域に広がる地域で、深い森あり、豊かな流れあり、ブドウや小麦の広い畑あり、古城あり、食ありと、フランスの庭とも呼ばれるような凝縮されたところ。

パリのオーステルリッツ駅を早朝の急行で発ち、先週行ったオルレアンを通過して、ブロワに降りる。駅から10分ほど歩いて、ブロワ城に着く。

ヴァロワ朝のルイ12世、フランソワ1世と、ブルボン朝ルイ13世の弟による、それぞれ全くことなる建築様式の棟がむりやり接合されていて面白い。
15世紀に王位を争った、ギーズ公アンリの暗殺現場でもある。

城のある高台からは、ロワール川と町並みののどかな風景が。
旧市街などをぶらぶらと歩いて時間をつぶし、最も有名なシャンボール城などへ行くためのバスを待つ。

が、バス、来たらず。

これだから困る。観光案内所に苦情を言っても、来ないものは仕方ないので、断念して、まばらな時刻表とにらめっこしつつ、午後の予定を立て直す。

ロワールぶらり旅(2)アンボワーズ/AMBOISE城2008年04月06日 11時49分09秒

ロワール川からの遠景
ブロワから少し下流へ下った、ロワール川左岸に建つ、アンボワーズ城。

ここでも、数代のフランス国王が過ごしたところ。
政治経済の中心は、当時からもずっとパリなのであるけれども、誰も彼も、相当期間ロワールで、ぶらぶらと気ままに(←これは想像)過ごしていたようである。

このあたりの城は、政情不安定だった頃の砦や要塞を改造したものが多い。そのため後代に作られた上部の華麗な居館とは対照に、下部の堅固な城壁やいかつい塔が残り、かつ、高台に作られているので見晴らしがとてもよい。

このアンボワーズ城も例に漏れないが、写真左側に大きな円塔があるが、この内部はらせん状の「坂」になっていて、馬車で城下から登ることができる。

現在残っているのは、ロワール川に面した一角の建物だけで、往時は高台をぐるりと城館が囲っていたとのこと。

レオナルド・ヴィンチは、晩年、この町へ招かれ、フランス王家の庇護のもと最後の制作活動にいそしんだ町であもある。彼の住んだ居館と、場内にはその墓もある。

ロワールぶらり旅(4)シュノンソー/CHENONCEAU城2008年04月07日 11時50分21秒

シェール川に架かるシュノンソー城
トゥールから、地方線でしばらく行ったところにある、シュノンソー城。ロワールの古城の中で一ニを争う美しい城館。ロワールの林の中にひっそりと建つ。

もともと、右側の河岸の監視塔だったものを大改造して、ついに川の向こうまで延ばしてしまったものらしい。

アンリ2世の妻、カトリーヌ・ドゥ・メディシスがここで政務をとった(といっても、気ままな生活をしながらたまに書類を決裁したくらいではないかと勝手に思料。)など、王妃や国王の愛妾に与えられてきた城館。
それぞれの時代を反映した寝室のつくりがすばらしい。

S'IL VIENT A POINT, ME SOWIENTDRA.
(この城が完成したならば、それは人に私を思い起こさせるものとなろう。)

城に刻まれているこの言葉は、おもにその築造を進めたフランソワ1世のもの。その自信に充ち溢れた言葉どおり、彼は、今日、フランス国民の間で一番人気のある国王となっている。

城のそばにある手入れの行き届いた庭園が美しく、またこれらを取り囲む静かな森のお散歩が、とても気持ちよい。

ヴィランドリー/VILLANDRY城2008年04月08日 11時51分56秒

庭園が美しいヴィランドリー城。ちょっと季節は早かった。
城めぐりのバスツアーに参加して、ヴィランドリーへ。

ここは、比較的新しい、有力貴族の居館。

美しい庭園が有名なのだけど、今はまだ花の時期じゃないのが残念。

朝から寒い中を庭師さんたちがせっせと働いている。

アゼイ・ル・リドー/AZAY-LE-RIDEAU城2008年04月08日 11時53分53秒

水面に映る姿が素晴らしい
ヴィランドリーに続いてバスツアーで到着。

女性的でとっても優美な城館。

ゆったりと林の中を流れるアンゼル川の脇に建てられ、小ぶりながらも、池に映えるその姿には、「宝石」と言われるのにも納得。

内部もよく残されているが、今回で一番、外から見ていて飽きない城館だった。

ソミュール/SAUMUR城2008年04月08日 11時58分30秒

600年以上、こうしてローヌ川とそミュールの町を見下ろす
トゥールを発ってさらに西へ、ソミュール城。

イメージするような「古典的なお城」。フランス人の人気があるというのもうなずける。

「ベリー公のいとも華麗な時祷書」という15世紀の細密画があって、それに描かれているのとほぼ同じ姿で、現在もある。

その絵と現在の写真と、それぞれ東京の小さな姪甥に送ったけど、届いたかな?

ロワールの白ワインの一大産地でもあり、城の周りにはブドウ畑が点在。

現在大改修中にて、中に入ることはできず。

アンジェ/ANGERS城2008年04月09日 11時56分56秒

アンジェ城内のタピスリー
ソミュールからさらに西へ進んで、アンジェで泊。

今は一地方都市に過ぎないけれども、英仏百年戦争の前までは、フランス西側とイングランドを支配していた「アンジュー帝国」の首府でもあったところ。
アンジェ城は、その後、フランス王家が、ブルターニュ公国の抑えとして建てた、まさに要塞。

ここでは、要塞はともかく、城内の展示室にあるタピストリー(織物の絵)が見事。通常なら、これらのタピスリーは、赤の染色は劣化してなくなって青系だけになっているので、往時の彩色を残し、しかも100枚近い連作は、とっても見ごたえがある。
内容も、キリスト教のものではあるが、説教的なものではなく、故事や奇跡が、聖人、世俗、動物、悪魔含め表情豊かに描かれていて、見飽きない。

しかし、この町は、どこを歩いても良さそうなレストランがなかなか見つからなかった。これは意外だった。いつもならいいレストランを探しだしてくる同伴者(=妻)もいないため、結構困った。
ホテル近くのブラッセリーで、ロワールのワインと川魚料理をとる。まあ、まずまず。

ナントNantes2008年04月09日 12時00分24秒

ナントの勅令はじめ様々な歴史の舞台
アンジェからさらに西へ、今回の旅行の最終目的地であるナントに到達。

ここまで来ると、歴史的経緯からも、ロワール地方というよりブルターニュに近くなる。

ナントはブルターニュ大公国の首都であり、16世紀に大公家最後のアンヌがフランス国王に嫁いで一体化するまで(甲斐武田家に対する諏訪湖衣姫のような立場。)、ほぼ独立を保っていた。抗争関係にあったため、ブルターニュ大公城はとっても堅固な要塞。

このフランス王妃アンヌ・ドゥ・ブルターニュは、ロワールからこの地域では人気があるようで、大公城の脇には銅像が立ち、その名を冠したホテルもいくつかあったりする。

それよりも、ナントといえば、ナントの勅令。これがブルボン朝に代わってアンリ4世により発せられたのも、このブルターニュ大公城の中。

町は、それなりに規模があって、明るく、よく整備された旧市街と、その街並みを良く残しつつ洗練された新市街が、ともに活気があり、お店も多く、感じのよい町。

ブルターニュ名物のクレープで軽く腹ごしらえして、帰りは、TGVでパリ・モンパルナスまで2時間。あっという間。