インフルエンザ@フランス2009年06月13日 08時06分25秒

(↑グルネル市場で捌かれる鶏。本文とは関係ありません。)

5月末に、フランス産家禽類の対日輸出が再開された。
これは、2月にヴァンデ県(大西洋岸)で弱毒性の鶏インフルが発生したため、日本側が輸入を停止していたもの。

この件、フォワグラも含まれるとかで日本では大きく報道されていたが、フランスではそんな報道まったくされていなかった。(辛うじてYahooのネット記事に1件発見)
だって弱毒性なんでしょ? ということらしいのだが。

鶏とは別に、世界的に大流行した?新型インフルエンザ、当然フランスでも感染者はいる。
6月12日時点で累計80人ということだが、マスクをしてる人を見たことがないし、どこで感染者が出た!とか騒いでいるようには見えない。
CDG空港から来た友人が、マスクをつけた人を1人発見したそうだが、それは日本から来た人のようだったと。

鶏にしても人にしても、リスク判断が、ゆるーい(いい加減な?)国民性と相まって、結果的にうまく行っている例なのかもしれない。

試験終了2009年06月19日 16時50分22秒

 金曜午後の欧州農業法の口頭試験にて、すべての試験終了。

 15分前に、いくつかの中から無作為で選んだ問題を渡されて準備したのち、担当講師ふたりの前で発表と質疑応答。

 引き当てた問題がこれ。
「EUにおける農業者への収入助成について」
 生産にリンクした補助金、農業予算の膨張、GATT交渉の文脈下で行われた1992年のマクシャリー改革において、価格支持政策から収入補てんへの転換が定められ、直接支払を導入した1999年改革を経て、2003年改革でデカップリングと環境適合要件を前提とする単一・直接支払が固まった、という流れ。
 ま、この程度なら余裕の域。

 自分がいた日本の大学法学部では、授業は講義とゼミに厳格に分かれていて、前者は例外なく筆記試験を課されたが、少なくともパリ1では授業の進め方も評価も講師次第。
 このような一人づつの口頭試験は、課程が上になるほど多い。人数が少なくなるということもあるが、不正を防ぐという理由も大きいのだとか。

 いずれにしても、これにて試験終了。
 あとは、農漁業省での研修をまとめた小論文と口頭査問が残る。

 試験期間が予定より遅れたこともあって論文の在仏中の完成がとても間に合わない状況なのだが、
「口頭査問は義務ではない、論文の完成度が重要」
との教授の言葉だったので、ここは安気に流れて帰国後に完成を目指すことにした。

 よって、これにて大学での勉強はいったん終了です。
(農漁業省には引き続き通っています。)

(写真は昔の学位論文審査の模様。大学構内にて)

Fête d'Adieu2009年06月20日 00時39分48秒

去年のESSECの友人を家に招いて、Fête d'Adieu、すなわち、さよならパーティーを開いた。

同級生(特に男)はもう国内国外に散らばっていて、パリに残っている人も少なくなかなか集まれないのだが、結局10人も来てくれた。
マルク(←唯一来た男)、シャルロット、ルイーズ、ソフィー、ナタリー(とその旦那ピエール)、サンディ(とその彼ベルトラン)、エディット(とその誰?ミカエル)

こういうパーティーがあると、女の子は彼氏とかを連れてくることが普通にある。ピエールとベルトランはこれまでにもう何回かあったことがある。

ずっと前から鮨をやると宣言していたので、マグロとサーモンの切り身を調達して、手巻き寿司に。実演してみせる。
でもやっぱりフランス人は、目の前で鮨を握ってほしかったらしい。いやそれは高い技術がいるんだよ、日本人だってほとんどできない、と前から言っているのだけど。

他に、お好み焼き、鶏のから揚げ(←これが一番好評)、炊き込みご飯。
妻が全部準備してくれたのだが、「こんなにおいしいなら日本食のレストラン開けるよ!」とのこと。よかったねー。

みんなでわいわいと夜中まで楽しい時間を過ごす。
早く大臣になってオフィシャルな招待ツアーを組め、と。また言われた。笑
マルクには甚平を特別プレゼント。彼のでかい図体にはちょっと窮屈だが、だいぶん喜んでくれた。

いつの日か再会を期して、お別れ。
今度は、皆にいつ会えることだろうか。

なんたる偶然22009年06月21日 01時32分19秒

セーヌ川。後方はルーブル
昨日のパーティーに来られなかったジャン・バティスト(JB)と逢った。

JBは卒業後、コカ・コーラ・フランスに入社し、1年目はカルフールなど大規模小売店への販売担当、2年目はフランス社全体の販売戦略ポジションに移るのだとか。

ビールを飲みながら、帰国後の話や、自分の2年目の勉強のことなどを話す。
地理的表示の話をしたところ、彼のお父さんが、バイヨンヌの生ハムで働いているとのこと。

ん? お父さんがバイヨンヌの生ハム?
JBと苗字が同じの、ムッシュ・エコマールさんという人を知っているが、それはもしや?

ビンゴ!
なーんと、かのエコマール氏 は、JBのお父さんだった!
言われてみれば、記憶にあるお父さんと、目がよーく似てる。
コンソーシアムからポーのホテルまで、車で送ってくれたのも彼だった。

そんなことってあるんだねえ。
ローマ に続いての、何たる偶然的出来事だった。

内閣改造~新農相は40歳2009年06月24日 14時13分16秒

 フランスの話です。

 バルニエ農漁業相らの欧州議会転出をきっかけとして、サルコジ大統領は、23日にフィヨン内閣の改造を断行。
 この第2次内閣では、バルニエの後任として、Bruno Le Maire ブルーノ・ル・メール食料・農業・漁業相が指名された。(省名・権限はその都度変わる。)

 以下、この弱冠40歳の新大臣について(ソースはウィキペディア・フランス。写真あり。 )。

 まず学歴から行くと、

・高等師範学校(ENS)卒(卒論は、「プルースト『失われた時を求めて』の構造術」。現代文学教員資格を首席の成績で取得)
・パリ政治学院卒
・国立行政学院(ENA)卒

と、これはちょっと知っている人なら溜息をつくような、最高級のフランスのエリートコースである。

 ENSは、名称は起源からして教員養成だが、フランスの知の最高峰(哲学、文学、数学などの非・実学に強いという個人的印象)。古くは、サルトルとボーヴォワールとか、フコーとか、ポワンカレとか、卒業生はフランスの文学者、哲学者、数学者が著名。
 ENAは言わずと知れた高級官僚養成学校(パリ政治学院はその準備過程と位置づけられる。)。
 政治の世界でも、ENAだけを出た人ならたくさんいるが、ENSも出る人はなかなかいない(有名どころでは、ファビウス、ジュぺ両元首相など)。

 その後、外務省入省。
 ド・ヴィルパンに見出され、シラク大統領府官房長、外相、内相と進んだ彼の側近として常にそのもとで政治顧問、官房スタッフとして行動し、最終的に首相府官房長を務める。
 その後、2007年に与党UMPから国民議会に当選、2008年には欧州案件担当相として入閣、2009年内閣改造で農相へ配置換え。

 これが、フランスの政治エリートの、旧来型ではあるが典型例である。
 農相はフランスの中でも外交畑の有力者(例:バルニエ)とか、若手の有望株(例:ラガルド(現経済財政相)、ゲマール(失脚中))が据えられることが多いが、今回もその例に当てはまるだろう。

 ル・メール新農相にとっては、フランス農業がEUと切り離せないとはいえ、出自の外交分野から出た初めての政治経験となる。圧力の多い国内問題をどうこなしていくか、彼の政治家としての試金石となるのではないだろうか。
 今後、注目してみたい。

ル・メール新農相(2)2009年06月25日 09時52分38秒

2003年2月14日の国連安保理において、フランス外相であったヴィルパンが、有名な演説を行っている。
イラク開戦を主張する米国に対し、説得力ある反対論を、知性を織り交ぜて格調高く唱え、フランス外交の存在感を見せつけたもの ( 日本語訳原文(フランス語) )なのだが、その原稿は、当時ヴィルパン外相のもとにあった、我らが新大臣ブルーノ(大臣でもファーストネームで呼ばれている。)が書いたものだそうだ。

内閣改造の翌日、農漁業省で研修を担当してくれているジガンさんとランチをした際、誇らしげに教えてくれた。
その華やかな経歴について感想を求めたら、
<< Parfait !(完璧だね) >>
と、苦笑いして首をすくめていた。

南仏旅行(1)2009年06月27日 07時14分08秒

帰国前に少し時間ができたので、今回の在仏で最後の旅行に、南仏のプロヴァンス、コート・ダジュールへ行ってきた。

写真は、TGVの車窓から見るプロヴァンスの風景。

第1日 パリ→リヨン→アヴィニョン
第2日 →マルセイユ
第3日 カランク→ニース
第4日 ニース
第5日 →エズ→→マントン
第6日 →パリ

南仏旅行(2)リヨン2009年06月27日 14時19分00秒

記事は後日追加

写真は、リヨン旧市街のお気に入りのブションBouchon(パリでいうビストロ) L'Amphitryon にて。臓物系のソーセージ

南仏旅行(3)サラダ・リヨネーズ2009年06月27日 14時28分29秒

記事は後日追加

写真は、同じ店で、サラダ・リヨネーズ

南仏旅行(4)アヴィニョンの橋2009年06月28日 14時30分02秒

記事は後日追加

写真は、いわゆる「♪アヴィニョンの橋」。

狭いので、踊ると危ないとのこと。